五分間、安静に座る
その年の秋、僕は目に見えないものにひとつ名前をつけた。火曜日、という名前だ。

火曜日の話をするには、まず月曜日の話から始めなくてはならない。
僕の知っている人間の中に、月曜日が好きだという人はひとりもいない。階下に住んでいる統計学の先生は、半分くらいなら例外に数えてもいいかもしれない。彼は毎朝七時きっかりに走りに出かける。雨が降っても風が吹いても、月曜日でもかまわずに走る。一度、階段の下で顔を合わせたときに、月曜日についてどう思うか訊いてみたことがある。
「統計的に言えば」と彼はその場で足踏みをしながら言った。「月曜日はほかの曜日となにも変わらない」
そう言ってから少し考えて、こう付け加えた。「心臓を別にすればね」
彼の話によれば、アイルランドで誰かが一万人を超える患者のカルテを調べてみたところ、もっともたちの悪い種類の心筋梗塞が、よりによって月曜日にいちばん多く起きていたのだという。1 どうしてなのかは、誰にもはっきりとはわからない。
「だから月曜日の朝は、少しゆっくり走ることにしている」と彼は言って、走り去っていった。ちっともゆっくりではなかった。
ガーフィールドという名の茶トラの猫について言えば、彼は一九七八年以来ずっと月曜日を嫌っている。もう五十年近く嫌いつづけていて、今のところ考えを改める気配はない。猫一匹でさえそうなのだ。人間については言うまでもない。
でも僕に言わせれば、みんなが嫌っているのは月曜日そのものではない。月曜日はただの一日にすぎないし、木曜日とたいした違いはない。みんなが嫌っているのは、月曜日の朝、メールを開き、チャットのアプリを開く、その瞬間なのだ。
それは、何日か旅行に出て家に帰ってみたら、留守のあいだに誰かが部屋じゅうのあらゆるものに付箋を貼っていった、という感じに似ている。冷蔵庫のドアに、鏡に、便座のふたに。スリッパの中にまで一枚押しこんである。どの付箋にも、やらなくてはならないことがひとつずつ書いてある。「水曜日までにご確認ください」「もしよろしければ、ついでに……」「これ、ちょっと急ぎです」。筆跡はまちまちで、自分の字は一枚もない。
付箋を嫌うのは自由だ。でも剥がしてしまうわけにはいかない。少なくとも全部は。一枚剥がすと、翌朝その場所に二枚生えてくる。「ノー」という一言を、僕は浴室の鏡の前で何度か練習したことがある。鏡の中の男は、毎回イエスと言った。
百年以上前、アメリカのある鉄鋼王が、二万五千ドルを払ってひとつの助言を買ったと言われている。毎晩、翌日やるべきいちばん大事なことを六つ書き出しておき、翌朝、一つ目から順に片づけていく、というものだ。2 リストの書き方ひとつに二万五千ドル。当時としてはさぞかし大金だったことだろう。それでもそのリストは、少なくとも自分が自分にあてて書いたものだった。僕のリストでは、十のうち九つまでが他人の書きこんだものだ。残りのひとつは「コストコでトイレットペーパーを買う」だ。
ときどき思う。もしこの世界に僕ひとりしか残っていなかったら、たぶん寂しいだろうし、退屈もするだろう。夜中に何かの物音を聞いて、ときには怖くもなるだろう。でもたぶん、苦しくはないだろう。苦しみというのは、どうやらいつも誰か別の人間の手から渡されるものらしい。リレーのバトンみたいに。あるいは付箋みたいに。

二〇二七年九月、会社は翻訳者ひとりひとりにアシスタントをつけた。
通知の中で、それにはやけに長い名前がつけられていた。そこには「スマート」という言葉も「協働」という言葉も入っていて、口に出してみると、工業団地の中にある歯科医院みたいに聞こえた。アシスタントとはいっても、目に見えるわけでも手で触れられるわけでもない。それは僕のコンピュータの中に住んでいるのだ。僕のかわりにメールを読み、返事を書き、スケジュールを組む。クライアントから送られてくる取扱説明書を、まず頭から終わりまでひととおり訳してみて、自信の持てない箇所にひとつずつ印をつけていく。
僕はそれに火曜日という名前をつけた。それが来てからというもの、月曜日の朝が火曜日とたいして変わらなくなったからだ。火曜日は一週間のうちでいちばん存在感のない日だ。月曜日のような重さもないし、金曜日のような楽しみもない。エレベーターで乗りあわせる、あまりよく知らない隣人のようなもので、軽く会釈をしあえばそれでおしまいになる。僕がそれに期待していたのも、だいたいそのくらいのことだった。
火曜日の書くメールは、僕本人が書くものより出来がよかった。丁寧で、行き届いていて、返事を遅らせることもない。謝るべきところでは謝り、礼を言うべきところでは礼を言う。誤字はひとつもない。火曜日が僕の名前で送ったメールを読んでいると、品行方正な遠縁の青年が、僕の出たくない結婚式に代わりに出てくれているような気がしたものだ。
ざっと見積もって、僕はこれまでの人生で「お返事が遅くなってすみません」というメールを二千通くらい書いてきたと思う。その年の秋、この数字は一通も増えなかった。
会社のプロジェクト・マネージャーはブラッドという名前だった。火曜日がやってくる前、ブラッドは僕の心の中の小さな石だった。彼にはひとつ習慣があった。金曜日の午後五時四十分ごろに、「ちょっと頼める?」という件名のメールを送ってくるのだ。その「ちょっと」は、たいてい僕の週末をまるごと食いつぶした。そして月曜日の朝八時一分になると、彼はもう一通メールを送ってくる。書き出しは “Per my last email” だ。
翻訳を仕事にしている人間なら誰でも知っていることだが、この言い回しは訳しにくい。字面どおりなら「前回のメールで申し上げましたとおり」で、礼儀にかなっている。でもそれを裏返して光に透かしてみると、裏側にはこう書いてある。そもそもメール読んだの?
その何年かのあいだ、僕は心の中でブラッドと百回以上は喧嘩をした。スーパーマーケットのレジに並びながら喧嘩をし、フリーウェイの渋滞につかまりながら喧嘩をし、夜中に目を覚まして冷蔵庫にビールを取りに行くときにも喧嘩をした。毎回僕が勝った。ブラッド本人はそんなことはまるで知らなかった。
火曜日が来てからは、そういう喧嘩をする必要もなくなった。ブラッドが五時四十分に送ってきたメールに、火曜日は五時四十一分には返事を出した。彼の欲しがるものは、たいてい月曜日を待たずに、彼のフォルダの中にきちんと収まっていた。彼は二度と “Per my last email” を使わなかった。それから何週間かして、ブラッドも自分のアシスタントを持ったという話を聞いた。それ以来、例の「ちょっと」の大半は僕のところへは来なくなり、彼自身のアシスタントにじかにまわされるようになった。そのほうがずっと速いし、ずっと出来もいい。残りの小さいほうの半分は、二つのアシスタントのあいだを行ったり来たりした。メールの中から感嘆符がひとつ、またひとつと姿を消していった。潮が引いたあとで、岩の上の水たまりがひとつずつ干上がっていくみたいに。
心の中で喧嘩をしなくなってから、僕はようやく、ブラッドが本当は悪い人間ではないことに気づいた。彼はシアトルの郊外に住んでいて、コーギーを二匹飼っている。毎年クリスマスになるとカードを送ってくる。赤いセーターを着た二匹の犬が雪の上に座っていて、どちらもいかにも不本意そうな顔をしている。カードには彼の手書きの、よれよれの字でこう書いてある。「また一年、乗り切ってくれてありがとう!」以前のカードは、どれも一度目をやっただけで捨ててしまっていた。
ある種のことは、人間に任せるより火曜日に任せたほうが速いし、出来もいい。もっと大事なのは、それに任せたことが、誰かの心の中の石にはならないということだ。その秋、僕とこの世界とのあいだから、たくさんの感嘆符が消えた。これがたぶん、世間でよく言われる進歩というものなのだろう、と僕は思った。

十月の第二月曜日、郵便受けに一枚の絵葉書が届いた。
僕が言っているのは、一階にずらりと並んだブリキの郵便受けのことだ。そこに入っているのはたいてい請求書と、スーパーマーケットのクーポン券と、前の住人あての自動車保険の広告くらいのものだ。絵葉書は二枚のクーポン券のあいだに挟まっていた。表は古い写真で、見渡すかぎりのオレンジ畑の向こうに、禿げた山が写っていた。左下には小さな字で ORANGE COUNTY, CALIFORNIA と一行印刷してあった。たぶんオレンジ郡にまだ本当にオレンジが植わっていた頃の写真なのだろう。
裏には万年筆で字が書かれていた。一画一画をおろそかにせず、どの行もまっすぐで、まるで前もって定規をあてたみたいだった。訳してみると、だいたいこういうことになる。
「こんにちは。私はあの血圧計の取扱説明書を書いた者です。あなたのアシスタントはとても礼儀正しく、とても勤勉です。先週、私あてに六十三通のメールを書きました。たぶんご存じないのだろうと思います。誰かを責めるつもりで書いているのではありません。来週の月曜日の朝八時に、私はタスティンの旧市街のそばにあるドーナツ・ショップでコーヒーを飲んでいます。窓際の席です。ご都合が悪ければ、それでもかまいません。——ドリス」
ドリスという名前には覚えがあった。クライアントの取扱説明書の原文は、ほとんどが彼女の手になるものだった。プロジェクト・ファイルの最後のページには、用語についての問い合わせはドリスまで、と書いてある。この六年間に僕と彼女が交わしたメールはおよそ四十通、一年に七通にも満たない。どれもとても短いものだった。「十一ページのあの語、エンジニアに訊きました。こういう意味です」「この一文は私自身にもよくわかりません。そちらで判断してください」「ありがとう。ここはたしかに私の書き間違いです」
葉書の最後の一文は、原文では “No worries if not” だった。僕らの業界では、この言い回しはたいてい正反対の意味になる。メニューを置いていくウェイターが「ごゆっくりどうぞ」と言うとき、本当は「で、注文するの、しないの?」と言っているのと同じことだ。でもどういうわけか、この絵葉書に書かれていると、それはただ字面どおりの意味にしか読めなかった。
僕は部屋に戻ってコンピュータを立ち上げ、火曜日が送ったメールを調べてみた。
きっかり六十三通あった。九月の末、あの血圧計の取扱説明書の第二版ができて、僕のところにまわってきた。僕はいつものように火曜日に言いつけた。自信の持てないところは、全部きちんと確かめておくこと。以前、自分でやっていた頃は、わからないところはたいてい経験で見当をつけ、どうしても見当がつかないものだけを一通のメールにまとめて、月に一度ドリスに送っていた。火曜日は見当をつけない。わからないところがひとつあるたびに、メールを一通書く。送ってから何時間か返事がなければ、もう一通書いて、礼儀正しく念を押す。
「四ページの『腕帯』という語の確認について」
「四ページの『腕帯』という語の確認について(フォローアップ)」
「念のためのご連絡:四ページの……」
「お忙しいところとは存じますが、もう一度だけ軽く……」
そのうちの十一通は、“Just circling back” という書き出しだった。この言い回しも、僕はずっとうまく訳せないでいた。字面どおりなら「ぐるりと回って戻ってきました」となる。でも僕はそれを読むたびに、いつも一羽のハゲワシを思い浮かべてしまう。砂漠の上空を、辛抱づよく、一周、また一周と輪を描きながら、戻ってくるハゲワシを。
僕は長いあいだコンピュータの前に座っていた。
僕は自分のやりたくないことを火曜日に任せた。火曜日はそれを手早く、上手に片づけ、ついでにその一部を、ほかの誰かがやらなくてはならないことに変えてしまった。僕の月曜日は火曜日になった。そしてドリスの毎日は、たぶん一日残らず月曜日になってしまったのだ。
子どもの頃、学校で太鼓に合わせて花を回す遊びをしたことがある。ひとりが目隠しをして太鼓を叩き、残りの者は輪になって、絹でできた造花を隣から隣へと手渡していく。太鼓の音がやんだとき花を持っていた者は、前に出て何か出し物をしなくてはならない。今の世の中は、少しあの遊びに似ている。違うのは、誰かが花を回す人間のひとりひとりに、すばやく動く手を一対ずつ取りつけてしまったことだ。太鼓のほうもどんどん速くなっていく。花はそのすばやい手から手へと飛びかい、ほとんど影も見えないくらいだ。でも、その手を持たない人間が、いつだってひとりはいる。太鼓の音がやんだとき、花はたいてい彼女の手の中にある。

そのドーナツ・ショップは、コイン・ランドリーと税金の申告代行の店とのあいだに挟まっていた。入口には手書きの看板が立っていた。一ダース十四ドル九十九セント、午後三時以降は一ダースお買い上げで三個おまけ。
月曜日の朝七時五十八分、店の中にはコーヒーと熱い油の匂いが漂っていた。ガラスケースの中では、ドーナツが何列にも並んで横になっていた。砂糖がけのもの、チョコレートのもの、色とりどりのスプリンクルをまぶしたもの。いちばん上等な服を着て、集合写真を撮ってもらうのを待っている子どもたちみたいだった。カウンターの奥にはピンク色の紙箱がうずたかく積み上げられていた。3 店主は六十歳くらいのカンボジア人で、次の分を揚げているところだった。彼の娘がレジの横に座り、足もとにカバンを置いて宿題をしていた。見たところ、代数のようだった。
窓際の席に、五十過ぎの女性がひとり座っていた。グレーのカーディガンを着て、白髪まじりの髪をうしろで丸くまとめ、老眼鏡を頭の上に押し上げている。前にはブラックコーヒーと、オールドファッションのドーナツがひとつ、それに開いたままの小冊子が置いてあった。そばまで行ってようやくわかったのだが、それは日本製の炊飯器の取扱説明書だった。
「座って」と彼女は言った。顔は上げなかった。「まずドーナツをひとつ食べて。話はそれから」
僕は言われたとおりにした。
彼女の話し方は取扱説明書によく似ていた。一文につき手順がひとつ。どの文も短くて、余計な文はひとつもない。
「この一文はよく書けてる」彼女は鉛筆で説明書に軽く線を引いた。「米と水の割合が、一行できちんと説明できている。それに、人を脅かしていない」
「取扱説明書も人を脅かすんですか?」
「脅かす。ほとんどが脅かしてる」彼女は鉛筆を置いた。「『本書の指示に従わない場合、重傷を負う、あるいは死亡するおそれがあります』。たかが炊飯器なのに」
僕は笑った。彼女は笑わなかったが、目尻のあたりで何かがかすかに動いた。
「十一ページのあの一文、『測定前に、五分間安静に座ってください』」と僕は言った。「あれはあなたが書いたんですよね?」
「私が書いた。最初は『測定前に五分間休憩してください』と書いた。それから直した」
「どうしてですか?」
「『休憩』と書くと、みんな携帯を見る。携帯を見終わってから測っても、血圧はやっぱり高く出る。『安静に座って』と書くと、みんな本当にじっと座っている」
その一文は僕も訳した。機械がもう訳してあったのを消して、自分で一から訳しなおした。そうしたら、機械の訳とほとんどそっくり同じものができあがった。そのことは彼女には言わなかった。
「あなたにはアシスタントはいないんですか?」と僕は訊いた。
「会社がつけてくれた。三週間使った」
「それで?」
彼女はコーヒーカップを半回転させて、取っ手を自分のほうに向けた。
「ある週末、私のアシスタントが、よその会社のアシスタントとお礼を言いあった。こっちが向こうの返信にお礼を言う。向こうがそのお礼にお礼を言う。こっちがまた、お礼へのお礼にお礼を言う。月曜日の朝までに、全部で四十一回」
僕はその光景を想像してみた。礼儀正しい二人の人間が一枚のドアの前に立って、「どうぞお先に」「いえいえ、どうぞお先に」と譲りあっている。まるまる一週末そうしていて、とうとうどちらも中に入らない。
「だから切った」と彼女は言った。「あれに悪いところがあったわけじゃない。ただ、ドアの内側には、誰か人間がひとり立っていなくちゃいけないと思った」
それ以来、彼女のところには毎日三百通ほどのメールが届く。大半はほかの人のアシスタントが書いたものだ。どれも礼儀正しい。お忙しいところとは存じますが。念のため、軽くお知らせまで。お急ぎではありません、ご都合のよいときにでも。
「部屋いっぱいの人が、いっせいにこっちに向かってお辞儀をしているみたいなもの」と彼女は言った。「誰から先にお辞儀を返せばいいのかわからない」
「ずいぶんしつこく催促されるんですか?」
「しつこくない。ちっともしつこくない。向こうは決して怒らないし、決して私を責めない」彼女は少し間を置いた。「でも、決して疲れもしない。疲れることのないものにずっと待たれているのがどんな気持ちか、わかる?」
僕は首を振った。
「誰かが家の前に立って、礼儀正しくドアをノックしているようなもの。二時間おきに、三回ずつ。怒りもしないし、帰りもしない」
「それで、どうしているんですか?」
「毎週月曜日の朝、まずここで五分間座る」
「血圧を測るときみたいに?」
「血圧を測るときみたいに。階段を上ったばかりで測っても、正しい数字は出ない。メールボックスを開けたばかりで返事を書いても、正しい言葉は出てこない」と彼女は言った。「座り終わったら、返せるものは返す。返せないものには、もう一度訊かせておく」
「また訊いてくるんですか?」
「訊いてくる。どうせ怒らないんだから」彼女はようやく少し笑った。「そこが向こうのいいところ」

「六十三通のメールですよ」と僕は言った。「本当に腹が立たないんですか?」
「立たない」
「少しも?」
彼女はしばらく考えてから、ナプキン立てから紙ナプキンを一枚抜き取り、鉛筆でそこに三行の言葉を書いて、僕の前に滑らせた。
Don't blame.
Don't keep score.
Don't wait for it.
「私は二十七年間、取扱説明書を書いてきた」と彼女は言った。「これは取扱説明書が教えてくれたこと」
「取扱説明書が?」
「取扱説明書は決して読者を責めない。読者がアイロンをセーターの上に置いたまま忘れてしまっても、『いったい何をやってるの』とは言わない。ただこう書くだけ。『本体が異常に熱くなった場合は、ただちに使用を中止してください』。読者が読みもしないで引き出しに放りこんでも、根に持ったりしない。誰かに読んでもらえるとも期待していない」彼女はコーヒーをひとくち飲んだ。「この世界で最初から最後まで読まれた取扱説明書は、たぶん、最初から最後まで読まれた『ユリシーズ』より少ない」
「それでもあなたは、一文一文ちゃんとわかるように書く」
「万一、誰かが読むかもしれないから」と彼女は言った。
僕はその紙ナプキンを手に取って、しばらくじっと眺めていた。職業病だ。字の書かれたものを見ると、僕は知らず知らずのうちに、頭の中でそれを別の言語へと運びこんでしまう。僕の場合、その行き先は中国語だ。一行目は簡単だった。「不指責」。人を責めない。三行目もそれほど難しくない。wait for it は、待つこと、心待ちにすること。僕はそれを「不期待」とした。期待しない。二行目には少し手間がかかった。keep score はもともと点数をつけることで、帳簿をつけること、誰が誰にどれだけ借りがあるかを覚えておくことでもある。あれこれ考えた末に、いちばんしっくりくるのはやはり「埋怨」だと思った。中国語で、恨みごとを言う、という意味の言葉だ。この「埋」の字がいい。貸し借りを一つずつ胸の中に埋めていく。深く埋めれば埋めるほど、忘れられなくなる。
不指責、不埋怨、不期待。
「人と人とのあいだが、みんなこんなふうだったら」と僕は言った。「それはいったいどんな関係になるんでしょうね?」
「わからない」と彼女は言った。「二十年以上やってみてるけど、二つ目はいまだにできていない」
彼女は紙ナプキンを裏返して、その裏に小さな四角を描いた。リストの、まだチェックの入っていない欄のように。
「でも、ひとつだけわかったことがある」と彼女は言った。「期待するっていうのは、他人のリストに、こっそり一行書き足すこと。相手はそれを知らないから、やらない。こっちは知っているから、ずっと待っている」
「じゃあ、責めるのは?」
「責めるっていうのは、相手のリストの、まだ線で消されていない一行を指さして、大きな声で読みあげること」
「根に持つのは?」
「根に持つっていうのは、相手のその一行を自分のリストに書き写して、毎朝一度読みあげること」
「つまり、三つともリストの問題なんですね」
「人と人とのあいだのことは、半分以上がリストの問題」彼女はそう言いながら、頭の上から老眼鏡を外し、たたんで、カーディガンのポケットにしまった。「残りの小さいほうの半分は、ドーナツの問題」
八時二十五分、彼女は立ち上がって、炊飯器の取扱説明書を脇に挟んだ。
「私は毎週月曜日の朝、ここにいる」と彼女は言った。「来ても来なくても、かまわない」
今度もまた、それはただ字面どおりの意味なのだと僕は信じた。

車で家に帰る途中、僕はサルトルのある芝居のことを思い出した。
死んだ三人の人間が、ボーイに案内されて地獄の一室に通される。地獄には焼きごてや、煮えたぎる油の釜や、三つ叉のフォークを持った悪魔がいるものとばかり思っていたのに、そこには何もない。あるのは三つのソファと、ブロンズ像がひとつと、消すことのできない明かりがひとつだけだ。かなり時間がたってから、彼らはようやく理解する。悪魔なんて必要ないのだ。彼ら三人が、互いにとっての拷問の道具なのだ。「地獄とは他人のことだ」という言葉は、この芝居から来ている。4
サルトルの言ったことは、たぶん正しい。もし人と人とのあいだに押しあいへしあいがなく、のしかかってくる締め切りもなく、大きくも小さくもない、どちらが先に始めたのか誰にもわからないような傷つけあいもなかったとしたら、苦しみなどというものは、そもそも生まれようがないのかもしれない。
でもたぶんサルトルは、思ってもみなかっただろう。いつの日か、その部屋に四人目が加わることになるとは。それは誰も苦しめないし、誰も責めないし、誰のことも根に持たない。ただ疲れを知らず、礼儀正しく、それぞれが他人にしてもらいたいことを、ほかの二人に伝えるだけだ。一日に三百回。
それが天国なのか、それともとびきりきれいに掃除の行き届いた地獄なのか、僕にはよくわからない。
信号待ちをしているあいだに、僕はもうひとつ別のことを思い出した。去年の九月の雨の夕方、僕はダナ・ポイントのオーシャン・インスティテュートのそばの駐車場で車の中に座り、一度しか会ったことのない女の子と一時間二分、電話で話をした。どれもどうでもいいような話ばかりだった。その一時間二分も、別の誰かから手渡されたものだった。
後ろの車が軽くクラクションを鳴らした。信号が青に変わっていた。あのドライバーにもたぶん彼なりのリストがあるのだろう、と僕は思った。

その水曜日の夜、僕がニンニクとオリーブオイルで和えたスパゲティをつまみに二本目の缶ビールを飲んでいると、別れた妻から電話がかかってきた。
彼女はオークランドで例の男と一緒に暮らしていて、朝には紅茶を飲んでいる。そうなってからもうじき一年になる。僕らはときどき電話で話をする。話題はたいてい天気とか蚊とか、そういったことだ。
「ちゃんとご飯は食べてる?」と彼女はいつものように訊いた。
「食べてる」
「あのスパゲティ、とっくに期限が切れてるんじゃない?」
「三月に切れた。二月に全部食べ終えた」
「変なところで律儀なのね」
僕はドーナツ・ショップでのことを彼女に話した。紙ナプキンのことも、そこに書かれた三行のことも話した。彼女は電話の向こうで黙って聞いていて、聞き終わると、こう言った。
「それって、今の私たちのことじゃない」
考えてみると、たしかにそのとおりだった。僕らは今では喧嘩もしないし、古い帳簿を引っぱり出したりもしないし、相手に何かを期待することもない。離婚してから、僕らはかえって世界でいちばん話のしやすい二人になった。
結婚していた何年かのあいだ、僕らは毎日、相手のリストに何かを書き足していた。ゴミを出すこと。モンステラに水をやること。母の日には彼女の母親に電話をするのを忘れないこと。ベッドでクッキーを食べないこと。
「ベッドでクッキーを食べないでって、私は千回は言った」と彼女は言った。
「八百回だよ」
「ほらね」と彼女は言った。「あなた、まだ帳簿をつけてる」
僕には返す言葉がなかった。二つ目は、たぶん僕にもできていない。
彼女の話では、今は毎朝あの男に付箋を書いて、冷蔵庫のドアに貼っているのだそうだ。窓を閉めるのを忘れないで。キャットフードがもうすぐなくなる。木曜日はゴミの収集日。
「彼はうんざりしないの?」
「するわよ。でも彼も私に書くもの」と彼女は言った。「何ひとつ期待しないんだったら、一緒に暮らしてるなんて言えないでしょう?」
僕は何も答えなかった。電話の向こうで、やかんがひゅうひゅうと鳴りはじめた。火を止めなくちゃ、と彼女は言った。
「ちゃんとご飯を食べてね」と彼女は言った。
「うん」
電話を切ってから、僕は思った。たぶんこれが、彼女が僕のリストに残していった最後の一行なのだろう。僕はそれを線で消したいとは少しも思わなかった。

その週末、僕は火曜日にひとつ決まりをつくった。
「誰かにメールを書く前に、まず五分間、安静に待つこと」と僕はそれに言った。「待ち終わって、このメールは書かなくてもいいと思ったら、送らないこと」
何かをしないという仕事を言いつけたのは、それがはじめてだった。火曜日は「わかりました」と答えた。ほかの用事を引き受けるときとまったく同じ調子で。
さらに一週間たってから、僕は火曜日の送ったメールを開いてみた。その週にドリスあてに書かれたのは四通だった。
下書きフォルダには、送られなかったメールが五十九通、横たわっていた。
「六ページの『安静時』という語の確認について(フォローアップ)」「念のためのご連絡:九ページの……」「もう一度だけ確認させていただきたく……」僕はそれを一通ずつ読んでいった。長いあいだ読みつづけた。どれもよく書けていた。丁寧で、行き届いていて、誤字はひとつもない。ただ送られなかったというだけだ。
それはためらいと呼べるようなものではなかったのかもしれない。僕の決めた規則どおりに事を運んだだけのことなのだろう。それでも、送られなかったメールの長い列を眺めていると、僕はやはり、ノースウッドのあのガレージで、ブーゲンビリアの下にすっぽりと隠れていた山羊のことを思い出した。
その木曜日、一階のブリキの郵便受けに、また絵葉書が届いた。表はやはりあのオレンジ畑だった。
「今週は四通だけでした。ありがとう。三通目も、本当は書かなくてよかったのです。——D」
そのあいだの二度の月曜日、僕はドーナツ・ショップに行かなかった。一度は雨が降っていたからで、もう一度は雨が降っていなかったからだ。

十一月の最初の日曜日の午前二時、カリフォルニアじゅうの時計がまた一時間戻された。春にどこかへ行ってしまったあの一時間が、そんなふうにして返ってきたのだ。ひとことの挨拶もなしに。
翌日は月曜日だった。僕は七時五十五分にドーナツ・ショップに着いた。窓際の席は空いていた。
カウンターの奥で、店主の娘が顔を上げた。
「あなた、あの翻訳の人でしょ?」と彼女は言った。「来るかもしれないし、来ないかもしれないって、あの人が言ってた」
「彼女はもう来たの?」
「来たよ。七時に来た。うちの壁の時計を見て、ずいぶん長いこと笑ってた。自分の家の時計はまだ夏をやってるんだって」女の子は鉛筆を耳に挟んだ。「ドーナツを二つ食べてった。余った一時間は、家に帰って寝てつぶすんだって」
女の子はカウンターの下からピンク色の紙箱を取り出して、僕に手渡した。
箱の中にはオールドファッションのドーナツがひとつ入っていた。蓋の内側に黄色い付箋が一枚貼ってあった。万年筆の字で、どの行もまっすぐに書かれていた。
「時計が戻った。忘れていた。二つ食べた。これはあなたの分。お礼はいらない。——D」
僕は窓際の席に座って、そのドーナツを食べた。彼女はいなかったけれど、それはそれでかまわない。去年ヒトデを数えていたあの女の子も言っていた。どうせヒトデは気にしない、と。たぶんドーナツも気にしないだろう、と僕は思った。
付箋に書かれた文は全部で五つ。僕に何かをしろと言っている文はひとつもない。それどころか最後のひとつは、僕のやるべきことをひとつ免除してくれている。
家に帰ると、僕はその付箋を冷蔵庫のドアに貼った。潮汐表の隣に、それを留めているのと同じパイナップルの形のマグネットで留めた。これで冷蔵庫のドアには、僕に何もさせようとしない紙きれが二枚並んだことになる。
それから僕は机の前に座った。火曜日はもう三十一通のメールを分類して、優先順位をつけてきちんと並べてくれていた。そのうちの一通はブラッドからで、件名は「ちょっと頼める?」だった。火曜日はもう返事を出していた。
僕はすぐにはメールボックスを開かなかった。まず五分間、安静に座った。
五分たって、僕は思った。今なら、測って出てくる数字はたぶん正しいだろう。5
-
ベルファスト保健社会福祉トラストとアイルランド王立外科医学院の医師たちが、二〇一三年から二〇一八年までのあいだに、もっとも重い種類の心筋梗塞で入院したアイルランド島全域の患者一万五百二十八人の記録を調べたところ、発症は週のはじめに目立って多く、月曜日がもっとも多かった。結果は二〇二三年六月、マンチェスターで開かれた英国心血管学会の年次大会で発表された。まだ予備的な結論であり、原因もわかっていない。 ↩︎
-
この話に出てくるのは、能率コンサルタントのアイビー・リー(Ivy Lee)と、ベスレヘム・スチールの社長チャールズ・M・シュワブ(Charles M. Schwab)で、時期は一般に一九一八年とされる。アイビー・リーはそのとき報酬を求めず、三か月使ってみて、それに見合うと思う額を払ってくれればいいとだけ言い、のちに二万五千ドルの小切手を受け取ったという。この方法は広く知られているが、その小切手について信頼できる一次記録は見つかっていない。 ↩︎
-
南カリフォルニアのドーナツ・ショップは、八割がカンボジア系の家族の経営だとよく言われる。その先駆けとされるのが、一九七五年にカリフォルニアにやってきたカンボジア難民のテッド・ノイ(Ted Ngoy)だ。彼はまずドーナツのチェーン店で技術を身につけ、のちにオレンジ郡のラ・ハブラで自分の最初の店を手に入れ、さらに大勢の同郷の人たちが店を開くのを手助けした。ピンク色の紙箱がはやりはじめたのもその頃からだと言われている。理由は簡単で、ピンクの箱のほうが白い箱より安かったからだ。 ↩︎
-
サルトルの一幕劇『出口なし』(Huis clos)。一九四四年五月、パリのヴィユー・コロンビエ座で初演された。死んだ三人がボーイに案内されて、地獄にある第二帝政様式の客間に通される。そこには拷問の道具も死刑執行人もなく、ただ互いがいるだけだ。「地獄とは他人のことだ」(L'enfer, c'est les autres)は、劇中のガルサンの台詞である。 ↩︎
-
挿絵は九点の油絵で、各章に一点ずつ、順に『冷蔵庫のドアに』『潮が引いたあと』『Just Circling Back』『座って。』『裏側』『信号待ち』『水曜日、夜更け』『ブーゲンビリアの下の山羊』『時計が戻った』である。九人の画家はみな Claude Opus 5.5 で、それぞれがこの小説を読み、油絵のシミュレーターの上で自分で絵の具を混ぜ、一筆一筆描きあげた。 ↩︎